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杉森康彦〜京都/鴨川の橋

 平安時代、白河法皇が「鴨川の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話があり、昔の鴨川は氾濫を繰り返し、京中の人々を苦しめました。
 なぜ高野川との合流を境に漢字が変わるのか?上賀茂神社と下鴨神社とつながる川でもあり、信仰の対象で、この2つの神社に関係するようです。上流にある上賀茂神社を「賀茂」、出町柳にある下鴨神社から下流を「鴨」、その違いで川も漢字を変えているようです。諸説はありますが、ある本では鴨川は神川の訛で、昔は穢れを流す禊の川であったと紹介されていました。

 祇園祭でも鴨川の水で神輿を清めます。夏の風物詩である川床で食事をすることも、神輿洗いで清めるということに付随して、御神輿に川の神を神輿にお移りいただき、祇園祭の前祭りと後祭りの7日間のみ、神が川を留守にされている間にだけ、川床を出すのを許された時代もあったそうです。
 
 現在の鴨川は京都のちょっとした観光地で憩いの川となっています。川沿いを歩くと様々な人達がおられます。楽器を練習する人、部活や演劇の練習する若人、犬の散歩やマラソンをする人、三条から四条あたりで点々と座る人も有名、多くの人が想い出のある川だと思います。
 四季折々、北に行けば半木の道の桜、三条から南は夏には床で食事をし、季節の移変りも楽しめます。五条大橋は弁慶と牛若丸が出会った場所としても有名で、川に関係した色々な歴史も刻まれています。

 私も鴨川沿いを歩くのが好きで、制作の息抜きにする散歩はとても心地よいのです。どの季節でもこの川沿いを歩く事だけで、なにげなく楽しい、このような川は珍しいのではないでしょうか。
 上賀茂神社の御薗橋から塩小路橋までをモチーフに、京都の四季を描いてみようと初めたシリーズです。

鴨川は沿いは憩いの場、フラっと息抜きをするにはとても良い所です。
私のとっても好きな場所でもあります。
上賀茂あたりからJRの新新幹線のあたりまで、すべての橋を絵で描いてみようと思っています。
今のところ2017年現在では、21の橋のうちの5つの橋を描いています。
いつ完成になるのか?すべて描けたら個展でもしようかなぁと思っています。


油絵風景画〜京都/洛中洛外之情景1(初期2002年〜2008年ぐらい)ページへ
油絵風景画〜京都/洛中洛外之情景2(2008年ぐらい〜現在まで)ページへ
杉森康彦〜京都/洛中洛外之情景絵にした場所/地図ページへ


1 西賀茂橋
にしかもはし

西賀茂橋 2018 年制作(F4)-地図へ
このあたりは柊野(ひらぎの)という地名で、昔は柊が生い茂っていたそうです。
昔は田園だったそうですが宅地化で架けられた橋のようです。

2

御薗橋
みそのばし

御薗橋 2018 年制作(M6)-地図へ
上賀茂神社の参道。昔、この近辺に神に供えるための菊などを栽培した「みその」があったそうです。

3

上賀茂橋
かみがもばし
上賀茂橋 2018 年制作(M10)-地図へ
夕方の賀茂川です。
4 北山大橋
きたやまおおはし
kitayama 2018 年制作(WF4)-地図へ
半木の道の桜を右にやんわりした春の気候を描いてみました。
5
北大路橋
きたおおじばし
北大路橋 2018 年制作(WF6)-地図へ
半木の道を南に向かってみた風景です。
春、紅しだれがとても綺麗で、散歩するのを楽しみにしています。

6

出雲路橋
いずもじばし
未制作 弥生時代には島根県の出雲から移り住んだ出雲族という豪族が住んでいたそうです。
7 葵橋
あおいばし
葵橋 2018 年制作(F4)-地図へ
安土桃山時代ごろから橋があり
、葵祭でも渡られていたようです。
8 出町橋
でまちばし
出町橋

2018 年制作(WF4)-地図へ
個人蔵

京都市内の原生林「糺の森」を中心に、賀茂川と高野川が合流する場所です。
平安以前の京都の様子を伝えている場所ではないでしょうか。

9 賀茂大橋
かもおおはし
賀茂大橋

2018 年制作(WF4)-地図へ
株式会社大地堂蔵

鴨川デルタは目立った場所でもありませんが、地味な観光地かな?

10 荒神橋
こうじんばし
荒神橋

2016 年制作(F50)-地図へ

江戸時代には、個人が架けた銭取り橋だったそうです。
その後は、朝廷が伊勢に使者を遣わすための通る橋としても使われた。1953年には学生デモと警察が衝突した荒神橋事件でも有名になってしまった、橋に歴史ありです。

11 丸太町橋
まるたまちばし
丸太町橋 2018 年制作(FW6)-地図へ
昔は材木町通りといわれていたそうです。
12 二条大橋
にじょうおおはし

二条大橋
2017年制作(M10)-地図へ 
昔は橋はなかったそうです。
平安時代に、 斎王がこのあたりで清めるための禊がおこなったと記録にのこるそうです。納涼床を行うみそぎ川と、高野川もこのあたりから分水されています。
昔は鴨川もみそぎ川と言われていたそうです。

13 御池大橋
おけいおおはし
御池大橋 2018 年制作(M10)-地図へ
平安京の時代は、三条坊門小路と言われていた。
御池は神泉苑に由来する。
14 三条大橋
さんじょうおおはし
三条大橋

2015年制作(M100)-地図へ 
東海道の起点となる橋です。
昔、鴨川に橋が少なかったそうですが、室町時代前期から架けられていた歴史ある橋です。現在でも欄干の擬宝珠は昔のものが使われているそうです。
その擬宝珠には、池田騒動でつけられた刀傷もある。

15 四条大橋
しじょうおおはし
4条

2015年制作 (F4)-地図へ
1142年、八坂神社に参詣するために寄付で架けられたのが古い記録とされています。中世には橋のたもとに鳥居もあったそうです。
歌舞伎発祥の地でもありでもあり、八坂神社の参道として昔から賑わいがあったようです。

16 団栗橋
どんぐりばし
団栗橋


2017年制作 (F30)-地図へ 
橋のたもと大きなどんぐりの木があったことから、この名前がついたようです。
昔、天明8年(1788)、この橋のあたりの宮川町団栗辻子の火事がもとで、京都の市中へも広がってしまう大火災になった。天明の大火、または団栗焼けともいうそうです。

17 松原橋
まつばらばし
松原橋 2018 年制作(WF3)-地図へ
昔は五条通りであった松原通り。
18
五条大橋
ごじょうおおはし
五条大橋 2018 年制作(F80)-地図へ
鴨川のこのあたり、昔は中州があったそうです。
雪景色をはじめて描いてみた作品です。
19
正面橋
しょうめんばし
正面橋 2018 年制作(F4)-地図へ
雨の鴨川を描いてみました。
秀吉が造営した大仏殿の正面に当たることから正面通と呼ばれたそうです。
20 七条大橋
しちじょうおおはし
七条大橋 2018 年制作(M10)-地図へ
冬景色を描いてみたく、雪の積もった風景です。
21 塩小路橋
しおこうじばし
塩小路橋 2018 年制作(WF3)-地図へ
光を柔らかく描いてみました。
22 鴨川橋梁
かもがわきょうり
未制作  

 

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